かつて石狩町は、サケ漁によって支えられてきた町でした。しかし戦後20年代になると不漁が続き、町は次第に活気を失っていきます。 「このままでは町がさびれてしまう」——そんな不安が広がっていました。そんな中、昭和29年(1954年)10月、石狩川河口に突然サケの群れが押し寄せます。この年は台風で青函連絡船・洞爺丸が沈没した年でもありました。石狩の浜は久しぶりの大漁に沸き、漁獲量は約13万5千尾。実に20年ぶりの豊漁でした。町には再び希望が生まれましたが、翌年は期待とは裏腹に不漁に終わり、「やっぱりだめか」「鮭に見放されてしまった町だ」そんな声さえ聞こえるようになっていました。そんな空気を変えようと立ち上がったのが、当時の町議会議員で石狩漁協組合長の吉田繁雄でした。昭和31年(1956年)8月の暑い昼下がり。役場で職員と雑談をしていた吉田は、うちわをパタパタさせながらこう言いました。「このままでは石狩がだんだんさびれてしまうぞ。どうだ、景気づけにさけ祭りでもやってみないか。」その場では冗談のように受け流されましたが、吉田はすぐに寄附集めに奔走します。その熱意に押され、役場職員や漁協、町民たちも次第に巻き込まれていきました。こうして第1回石狩さけまつりが、同じ年の秋に開催されることになったのです。
前夜祭の9月9日には、札幌市内で吹奏楽団によるパレードを行い、祭りを広くPRしました。本祭は9月10日から16日まで、石狩八幡神社の祭典とあわせて開催され、町内外から多くの人々が訪れました。祭りの見どころの一つが、石狩川で行われた流灯行事です。サケの形をした大型行灯が9基、磯舟やイカダに乗せられて川に浮かべられました。さらに子どもたちが作った二百数十の小さな行灯も加わり、夜の石狩川は無数の灯りでゆらゆらと輝きます。その幻想的な光景を見ようと、約3,000人が川岸に集まりました。翌日には、自衛隊音楽隊の演奏や札幌の芸者による舞踊も披露されました。その舞台となったのは、なんと漁で使う「馬船」を利用した特設ステージ。漁師町らしい工夫が観客を楽しませました。
また、祭りの楽しみといえばやはり鮭料理です。会場では石狩鍋をはじめとする鮭料理が振る舞われ、5品で250円、9品で400円、そして13品付き600円のコースまで用意されました。まだ食べ物が豊富ではない時代、安くておいしい鮭料理をお腹いっぱい味わえることが大きな魅力となり、訪れた人々を喜ばせました。こうして石狩さけまつりは、石狩のサケと名物料理「石狩鍋」を広く知らしめる祭りとして大成功を収めます。その後、祭りは石狩の秋の風物詩として15年間続きました。
しかし石狩川の河川改修や水質悪化の影響でサケの遡上が減少し、昭和45年(1970年)第15回を最後に中断します。その後、千歳川での放流事業や水質改善によりサケは再び増え、昭和54年(1979年)、9年ぶりに石狩さけまつりが復活しました。復活した祭りでは、定置網で獲れたサケの即売や大鍋で作る石狩鍋が人気を集め、用意されたサケはたちまち完売。こうして石狩さけまつりは、サケとともに歩んできた石狩の歴史を今に伝える祭りとして、現在まで受け継がれています。